小雀信号所〜ドリームランド駅




 小雀信号所を抜けると、軌道は北東へ進んでいく。相変わらず勾配が激しい。

 一度軌道から離れ、並行する道を歩く(1)。そして、道を左に曲がって今度は軌道の真下を通る。その地点から撮った写真がこんな感じである(2)。

 実際のところ地面も同じように勾配になっている。一度下って再び上る。橋脚の長さを変えてまっすぐにすればいいものをわざわざ勾配をつけている。

 本気(マジ)さんが、「こんなことやってるから事故を起こすんだよ」とおっしゃる。確かにこれではまるで遊園地の乗り物である。遊園地のアクセス用の交通手段であり、乗ることを楽しむ要素があってもいいと思うが、鉄道を運営するという自覚には欠けていたのではないだろうか。それが、重量過多による軌道の強度不足という信じられないトラブルを起こす要因になったのかもしれない。

(1)左側の茂みの方向に小雀信号所がある。 (2)この視点からはやや大袈裟に見える。

 起動と並行してしばらく歩くと、国道1号線にぶつかる。このあたりは渋滞の名所だという。平日の昼という時間帯だけに交通量は多いとは思わないが、決して少なくはない。

 適当な道が無いため、しばらく軌道の近くから離れることにする。この調査の後にも予定がある。移動距離が思いのほか長く、回り道をする時間が無くなっていた。

 再び軌道と出くわした地点(3)のあたりでは、複線橋脚になっていた。なんでも、小田急江ノ島線の六会まで新線を建設する計画があったようで、そのための複線橋脚のようだ。

 もう少し先、ランド坂下あたりに行くと、複線軌道(4)になっている部分がある。これがその新線の一部となる予定だったようだ。

(3)民家の真上を通る。 (4)複線橋脚だと見違えるほど頑丈に見える。

 ランド坂下からはその名の通り坂である。勾配もかなりある。複線になった軌道(5)はこの勾配を登り、山の中へ消える。この先がどうなっているのかは不明。

 坂を登り終え、ドリームランドも目の前となる。向かって右側の駐車場の脇にある階段、まさしくドリームランド駅跡である(6)。

(5)唯一の複線区間。 (6)かつてあった駅舎は撤去済み。

 ホームには普通に入れた。

 ホームとしての形は残っている(7)。もちろん軌道も残っている。だが、駅名表は消失、広告、照明ももちろん全てはがされていて、もはやただの廃墟になっている。夜には絶対に行きたくない場所だ。猫はいるし、自転車が捨てられていて、あたり一面錆びだらけ。非常に気味が悪い。

 大船側はこんな感じ(8)である。草が生い茂っていて年月の長さを感じさせられる。最後に手入れがされたのはいつだろうか。

(7)とにかく荒れ果てている。 (8)せめて草刈くらいは、、、、、

 こうしてドリーム交通モノレールの調査を終え、バスで大船駅に戻った

 疑問なのは、これだけきちんと設備を残しておきながら、すぐにでも復活しなかったかということである。最初に休止したときは、軌道と橋脚の補修が完了したらすぐにでも再開するつもりだったのであろう。それがこのようにずるずると引き延ばされている間に、ドリームランドは閉園となってしまった。モノレールの計画も中止が決定した。

 もしこのモノレールがすぐに復活していれば、ドリームランドに行くのに渋滞の名所、原宿交差点を通らずに済み、客足が遠のくことも無かったかもしれない。そうすればドリームランドもモノレールも違う運命をたどっていたということも考えられる。あくまでも「可能性」だが。

 HSSTにするという計画があった。実現したら凄いことになっていただろうが、まだ確立していない技術を軽はずみに1996年に開通などと、とにかく甘い見通しで計画を進めていったことがこんな結果につながってしまったのではないだろうか。休止の原因となった事故といい、見通しの甘さは30年経ってもも変わらないということか。

 誰が考えても実現は夢物語に近かったHSST化。本当に夢物語になってしまった。鉄道の運営というものは、常に現実を見据えなければならない。現実性の無い「ドリーム」を持ち出すなど論外である。もし「夢」を持ち出すのであれば、必ず実現させなければならない。かつて不可能といわれた時速200キロを新幹線が達成したように。

 このドリーム交通は、日本の鉄道に大きな課題を与えることになってしまった。見通しの甘さは現在でも日本の鉄道全体の慢性的な問題点といえるかもしれない。