号室


巧みな仕掛けにずぶずぶとはまっていった




 自分第一。
 とは、この“めぞん一刻論”における構成コンセプト(などとカタカナを使って気取るほどのことでもないけど)。既存の研究の書、評論などに左右されない、ぼく自身の意見を何よりも尊重する「純粋主観」の立場で、書いていこうと思っていた。
 ぼくは、自分の弱さを知っている。だから、文献的なものや、ネットで公開されている『めぞん一刻』関係のファンサイトには、なるべく目を通さないようにしていた。見ればきっと影響されるし、人様の考えを、あたかも自分で考えたように述べたり、うっかり無断引用のようなこともやってしまいかねないのです。
 ただ、主観を貫き通すあまり、公に認知されている事実を誤認したまま論を展開して恥をさらすような、アホらしい事態はなるべくなら避けたいから、必要最小限の範囲で既存の資料を参照することは許した。しかし、作品に対する読者の感想を大きく左右しそうな資料、たとえば高橋留美子自身が答えているインタビューなどは、読みたいけれど、ぐっと耐えて押しやった。
 つまんない意地かもしれないが、ぼくにとっては必要なことだったとお察しください。
 失笑ものの読み間違いを犯しまくる可能性も十分にあります。お気づきの際は遠慮なくご指摘いただければ幸いです。

 1号室で、「意図的な古めかしさ」という意味のことを述べた。2号室では、「どう古めかしいのか」を、当時の時代感覚から説明しつつ、ストーリーづくりが天才的に巧いからそれでいいんだよーん、みたいなところで締めた。
 そこで次は、『めぞん一刻』が、どのようなストーリーの設計図を持っているかを見てみたい。
 まず、作品を成り立たせている要素要素をバラそう。土台はどうなっているだろうか。そして骨組みは。

■完璧な時制の導入
 『めぞん一刻』の時制は、ほぼ完璧に現実とシンクロしている。
 連載が始まったとき、主人公の五代裕作は19歳の予備校生で、翌年の春に大学へ入学し、4年後には卒業し、約2年後に保母の資格試験に合格して、保育園に就職した。その春、音無響子と入籍したときは、26歳になろうとしていた。単に年齢を重ねるだけでなく、五代が2回目の受験シーズンを迎える新年は「昭和56年」、大学卒業の際には「1985年」などと、わざわざ(連載当時の)現実世界との同時性を強調する記述さえ見られる。
 つじつまが合っているだけという大まかなレベルの話ではない。現実がクリスマスなら一刻館もクリスマスを迎え、世間が夏休みなら五代も真夏の日差しを浴びてアルバイトに汗を流しているのである。

 話は多少それるが、一般的な傾向として、コメディマンガでは主人公の成長が否定されることが多い。代表例としてあげれば長谷川町子『サザエさん』だ。このマンガには、加齢の概念がいっさいない。

 しかし、歳を取るということは、実に生々しい現象だという気がしませんか。  サザエが更年期障害に悩んだり、波平の葬式を出したりする、といったチェーンメールさながらな場面の連続では、あまりにリアルすぎる。
 竹本チエは恋することを知らず、大人のずるさとも縁のない小学校5年生のままだから、連載が約20年も続けられたのだ。
 亀有の両さんが定年後の生活を考えたり、退職金の活用法を算段したりするのでは、もはやギャグマンガとはいえないだろう。

 調査したわけではないが、ストーリーマンガに分類される作品なら、登場人物が順調に年を取っていくケースが大半を占めるに違いない。
 学園を舞台にしたマンガの場合、進級にともなうクラス替えや卒業など、「強制された別離」がドラマになったりするから、むしろそういった経年変化はストーリーの軸になる。さまざまな経験をして、主人公が精神的成長を遂げていくさまを描いた佳作は数え切れないほどありそうだ(くらもちふさこ『おしゃべり階段』好きでした)。
 したがって、『めぞん一刻』に“時の流れ”が存在することは、とりたててユニークなわけではない。しかし、ここに「一刻館」というもうひとつの軸を重ね合わせると、作者がこっそり仕掛けた「お遊び」が見えてくる。
 などと透視能力者のようなことを申しておりますが、ぼくの文章、やたら「」や『』が多くない? 気になって読みにくいなら、言ってね。

■時計は止まる。時間は過ぎゆく
 メインの舞台となる一刻館。
 この古いアパートには時計台があるが、時計は壊れていて動かない。
 おもしろいじゃないですか。
 ストーリーには現実と同じ時の流れがあるのに、肝心の時計は止まっているのだ。
 もちろん、設備が機能を止めたまま放置されるほど手入れの悪い、年季の入った建物だから……という単純な発想で時計の針を錆びつかせただけである可能性は高いが、わざと対比させたのではないかと深読みもできて、興味深い。
 一刻館、時計坂という固有名詞や、漢数字が頭につく人物名など、「時」や「数」による統一性もお遊びのひとつだろう。とくに1号室は一の瀬さん、4号室は四谷さん、という具合に、名前と部屋番号が一致しているところなど、ものすごく秩序正しい1対1対応になっているわけだが、現実にはまず起こりえない。
 秩序も度を過ごすと冗談になる。
 もちろんマンガのなかでは、その点にはいっさい触れていない。それはそうで、奇妙なもの、不思議なもの、異常なものを、当たり前のように扱うから笑いを生むのだ。これはコメディの基本メソッドである。
 すなわち、高橋留美子はコメディのつくり方を知っている。
 赤字にして強調するほどたいしたことは言っていませんが、これ重要なポイントでっせ。
 『めぞん一刻』の構造を分析すればするほど、高度に計算されたドラマだということが改めてよくわかる。プロだから当然ともいえるが、約半年前『うる星やつら』で本格デビューしたばかりの弱冠23歳であることを考えると、やっぱりすごい。小池一夫劇画村塾でセオリーを叩き込まれたのだろうが、凡人は教えられた以上のことができない。それが凡人たるゆえんなのだが、もちろん高橋留美子は違う。いわゆる“若書き”っぽさが微塵もなく、構成力はこのときすでにベテランのような熟練した水準にあったのだ。
 さあ、どんどん行こう。
 と思ったけど、スクロールが長すぎる。つづきは別ファイルで。




────4号室へつづく







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