訴求内容が未整理かつ舌足らずであるうえ、文章としてもかなり読みにくいページになっています。あとで全体的に手を入れればいいか、と、軽い気持ちでアップしたのですが、直す機会がないまま、いまに至りました。ライターのハシクレとしてメシを食べている以上、たとえプライベートなフィールドといえども、質の低い文章を人目にさらすのは忸怩たるものが大ありだし、実は読むほうにとってもつらいんですよね。そのへんはもちろんわかってます。削除しようとも思いました。でも、こういうカオスっぽかったり、生っぽかったりする「個」の部分が見られるのも、インターネットのおもしろさ。どうせ賢い文章が書けるわけじゃなし、馬鹿は馬鹿のままご覧に入れるのがいちばんの自然体かな、と思うので、手を入れたりせず、現状キープで公開しておきます。

追記:本文中に「ジョージ・ルーカスは黒澤明の作品を下敷きにSTAR WARSを撮った……」云々、という一文がありますが、人物の配置やストーリーの展開についてはその通りなんですけれど、構想そのものは、神学者ジョセフ・キャンベルの『神話論』がヒントになっていると言われています。蛇足かもしれませんが、参考までに。






  
おれは音無響子と同級生だった





 いまこのページをお読みの皆さんがお気づきかどうかは知らないし、たぶん気づくほどの関心がないだろうと強い確信を持って断言できるが、当サイト『烈語』の管理者、つまりぼくの生まれは、プロフィールに書いてあるとおり、1959年(昭和34年)である。
 つまり、『めぞん一刻』のヒロイン、音無響子と同い年ということになる。
 しかも研究者の調査によると、生まれ月まで同じらしい。
 これが、『めぞん一刻』にどっぷりハマってしまった大きな理由だ。響子さんに対する“同年齢同士”の親近感は、異常に深かった。

 異常? そのとおり、まさしく笑っちゃうくらい異常な思い入れぶりだった。
 なにしろ────ほんの一瞬のことだが────幻覚のようなものさえ見たのだから。
 ある日の夜、寒々しいアパートの一室でマンガを読んでいた。『めぞん一刻』単行本の新刊が出たので、会社帰りにさっそく買い込んだわけである。
 こんなアパートに住めたら、楽しいだろうな。その日はなぜだか、切実に、無性に、そう感じた。一刻館に住んでいる自分が強烈なリアルさでイメージできた。しかし、実際に住んでいるのは、脚の悪い婆さんが管理人をやっている日当たりの悪い四畳半。なんて悲しい理想と現実のギャップだろう、そう思ったことまでは覚えている。
 ぼくはきっと、催眠術にかかったような目をしていたに違いない。音無響子は実在する。突然、そう信じ込んでいた。「一刻館へ行って、響子さんに会ってみよう。彼女と話をしたい」と熱烈に願い、外出の用意を始めて、ふと我に返った。あっ。なにやってんだ、おれ。冷や汗が吹き出る。ものすごく怖かった。
 妄想にふけりすぎて周囲が見えなくなり、電柱に激突する、というルーティンのギャグは『めぞん一刻』に繰り返し出てくる。また、生身の人間なら誰でも白昼夢にひたったことがあるはずだ。けれど、あのときの体験は、そんな微笑ましいレベルではぜんぜんなかった。数秒、あるいは数分のこととはいえ、現実ではないことを、本当にあると完全に信じ、フォースの暗黒面みたいに、自分のつくりだした妄想に引きずり込まれかけたのだ。人間は生まれながらに狂気の芽を持っているとすれば、ぼくの場合、深層心理の奥の奥にしまい込まれていると思っていたそれが、意外と表層に近いところにあるらしい。怖いよこれは。

 そのときのぼくの立場といえば、大学を出て小さなデザイン事務所に潜り込んだばかりの、新人コピーライター。書いても書いても上司のOKがもらえず、壁にぶち当たっていた。自信? そんなものはとうの昔にポンと軽い音を立てて弾け飛び、韃靼海峡を渡っていっちまったよ。「自分は、この仕事をやっていけないんじゃ…」と、『翔んだカップル』の勇介のモノローグ口調さながらのセリフで頭のなかがいっぱいになっていた。会社へ行くのが嫌で嫌でたまらず、遅刻ばかりしていたので、おっかない社長から怒鳴りつけられ、ますます嫌になる。しかし休んだらそれこそ自分はそこで切れてしまうという危機感もあったので、とにかく重い腰を会社の椅子へ運ぶ毎日だった。逃げ場がなかった────ただ一カ所、一刻館を除いては。一瞬の「くれいじぃ体験版」は、かくしてインストールされたのだった。
 でも、あのとき我に返らず、そのまま突っ走って行ってしまっても、それはそれで幸せだったんじゃないかと思うと、ちょっと惜しい気もする。だって、“本物の”響子さんに会えると思うと、すごく甘美な至福感に満たされたことは確かだったからね。

 ただ、どうだろう、響子さんって、そんなにいい女かなあ。いまでは、トシを食った分だけ離れたものの見方ができるようになった。あのように意地っ張りでわがままで気の強い女、好きにはなるかもしれないけど、結婚したいとは思わない気がする。五代くん、えらいよ。「意志が弱い」なんてとんでもない。
 こずえちゃんや八神にも、ときどきはぐらつきながら、結局は心を動かさなかったのだから。

 そして、ぼくは思う。
 作者・高橋留美子は、このマンガで何をやりたかったのだろう。

 「いまさら『めぞん一刻』?」というささやき声も聞こえないわけではないが、一度は狂気の淵から手招きまでされたマンガである。しっかりした形で深く追及してみたかった。また、別の興味もある。このマンガが、ある意味で、時代に即さない生まれ方をしているということだ。



1号室────出会いは大学3年の秋だった
2号室────世間は豊かさ指向に浮かれていた
3号室────巧みな仕掛けにずぶずぶとはまっていった
4号室────五代裕作に若き日の石立鉄男の影を見た
5号室────カルシウム豊かな構成にビタミンの効いた計算があった
6号室────朱美の決めゼリフに脊髄がマイナスイオンを発した






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