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訴求内容が未整理かつ舌足らずであるうえ、文章としてもかなり読みにくいページになっています。あとで全体的に手を入れればいいか、と、軽い気持ちでアップしたのですが、直す機会がないまま、いまに至りました。ライターのハシクレとしてメシを食べている以上、たとえプライベートなフィールドといえども、質の低い文章を人目にさらすのは忸怩たるものが大ありだし、実は読むほうにとってもつらいんですよね。そのへんはもちろんわかってます。削除しようとも思いました。でも、こういうカオスっぽかったり、生っぽかったりする「個」の部分が見られるのも、インターネットのおもしろさ。どうせ賢い文章が書けるわけじゃなし、馬鹿は馬鹿のままご覧に入れるのがいちばんの自然体かな、と思うので、手を入れたりせず、現状キープで公開しておきます。 追記:本文中に「ジョージ・ルーカスは黒澤明の作品を下敷きにSTAR WARSを撮った……」云々、という一文がありますが、人物の配置やストーリーの展開についてはその通りなんですけれど、構想そのものは、神学者ジョセフ・キャンベルの『神話論』がヒントになっていると言われています。蛇足かもしれませんが、参考までに。 |
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序
おれは音無響子と同級生だった
異常? そのとおり、まさしく笑っちゃうくらい異常な思い入れぶりだった。
そのときのぼくの立場といえば、大学を出て小さなデザイン事務所に潜り込んだばかりの、新人コピーライター。書いても書いても上司のOKがもらえず、壁にぶち当たっていた。自信? そんなものはとうの昔にポンと軽い音を立てて弾け飛び、韃靼海峡を渡っていっちまったよ。「自分は、この仕事をやっていけないんじゃ…」と、『翔んだカップル』の勇介のモノローグ口調さながらのセリフで頭のなかがいっぱいになっていた。会社へ行くのが嫌で嫌でたまらず、遅刻ばかりしていたので、おっかない社長から怒鳴りつけられ、ますます嫌になる。しかし休んだらそれこそ自分はそこで切れてしまうという危機感もあったので、とにかく重い腰を会社の椅子へ運ぶ毎日だった。逃げ場がなかった────ただ一カ所、一刻館を除いては。一瞬の「くれいじぃ体験版」は、かくしてインストールされたのだった。
ただ、どうだろう、響子さんって、そんなにいい女かなあ。いまでは、トシを食った分だけ離れたものの見方ができるようになった。あのように意地っ張りでわがままで気の強い女、好きにはなるかもしれないけど、結婚したいとは思わない気がする。五代くん、えらいよ。「意志が弱い」なんてとんでもない。
そして、ぼくは思う。
「いまさら『めぞん一刻』?」というささやき声も聞こえないわけではないが、一度は狂気の淵から手招きまでされたマンガである。しっかりした形で深く追及してみたかった。また、別の興味もある。このマンガが、ある意味で、時代に即さない生まれ方をしているということだ。 |