オリジナル・メンバー

Rodger McGuinn

Gene Clark

David Crosby

Chris Hillman

Micheal Clarke






ロジャー・マッギン  Rodger McGuinn

 1942年、イリノイ州シカゴ出身。フルネームはジェームズ・ジョセフ・マッギンV。デビュー当初はジムと名乗ったが、のち東南アジア系の新興宗教団体に参加したのをきっかけにロジャーと改名する。
 キャリアのスタートはセッションミュージシャンだった。60年代初期に人気のあったチャド・ミッチェル・トリオとは、ゴンザガ大学の同窓であり、その縁でトリオのバックを務め、ギターやバンジョーを演奏した。またフォークの歌姫ジュディ・コリンズや、トム&ジェリー(サイモン&ガーファンクル)のサポートでも活躍した。
 リッケンバッカーの12弦ギターといえばロジャーだ。というくらいイメージが固まっているが、もともとはジョージ・ハリスンの影響で手にしたという。ボブ・ディランのパフォーマンスに感銘を受ける一方、ビートルズも意識していたようで、フォークとロックの融合はその時点で約束されたものだったといえるかもしれない。
 バーズ解散後は、ヒットチャートを賑わすことが滅多になくなったが、ボブ・ディランのデビュー30周年記念ライブでは最後のゲストとして出演、『Mr. Tambourine Man』を披露して大喝采を受けている。このライブには、エリック・クラプトンやジョージ・ハリスン、ニール・ヤングといった、ロジャーよりもはるかにビッグネームのミュージシャンが続々登場するのだが、ステージ構成上のロジャーに対する扱いは彼らより格上という感じだ。『My Back Pages』は、主なゲストとのメドレーで、アレンジはバーズのバージョン。おなじみのギターイントロ、おなじみのテキトーな歌い方でさらっと演じてみせている。 またセッションマンとしても重宝されていて、エルビス・コステロの『Spikes』ほか、あちこちのミュージシャンの作品にクレジットが見られる。
 ところで、ロジャーのボーカルは広末涼子に似ている、というと驚くでしょうけれど、聞き較べてみれば賛同してくれる人も100万人に1人くらいいるかもしれない。そりゃ、そっくりってわけじゃないですよ、男声と女声の違いは大きいし。でも、なんか似てるんだよなー。ま、どうでもいいことですが。

 コマーシャルな活動の場からすっかり消えた感のある近年のロジャーだが、生ギター1本でライブハウスを回ったりしている模様。またトラディショナルソングや古いフォークソングを見直す活動を展開していている。『Treasures from folk den』というアルバムは2001年のグラミー賞にノミネートされた。



ジーン・クラーク  Gene Clark

 1941年、ミズーリ州に生まれる。隣接するテネシー、ケンタッキーなどとともに、カントリー・ミュージックの本場である。したがってジーンの音楽的ルーツはカントリーであると言ってもかまわないと思うが、単なるカントリーマンではないことは、その後の活動が証明している。ニュー・クリスティ・ミンストレルズという、フォークをベースとした耳なじみのよいポピュラーソングで人気のあった大所帯のグループ(『グリーン・グリーン』というヒット曲で有名。確か映画『メリー・ポピンズ』のサントラも?66年に来日公演)を経て、バーズのファウンディングに参加する。
 初期のバーズは、ビートルズライクなロックンロール路線を強く志向していたが、その中心にいたのはジーンで、コロンビアへ移籍する前のデモ・レコーディングでは、曲のほとんどをジーンが書いていた。音楽的にはリード・オフ・マンだったと言える。『Mr. Tambourine Man』のヒットで、グループの主導権をジム(ロジャー)・マッギンが握ることになったものの、『I'll Feel Whole Lot A Better』などのソングライティングで気を吐いている(しかし、あまりにビートルズのコピーっぽくて、オリジナリティ面の評価では意見が分かれるところだろう)。
 バーズ脱退後、ディラード&クラークや、バーズ再結成、マッギン・クラーク&ヒルマンとしての活動をはさみ、長い期間をソロで過ごした。ヒットには恵まれず、キャリアの割には不遇だったと言える。
 91年5月、心臓発作で急逝。まだ50歳の若さだった。




デビッド・クロスビー  David Crosby

 1941年、ロサンゼルスの有名な映画撮影ディレクターの家に生まれる。本名はデビッド・コートランド。
 10代後半から20代初めにかけて、アメリカ大陸を放浪。サンフランシスコではポール・カントナー(ジェファーソン・エアプレイン)らとコミューン生活を体験する。やがてロスに戻り、音楽活動を開始。クラブ「トルバドール」に出演し、フォークソングを歌う。グラハム・ナッシュとはすでにこのころからの知り合いだったらしい。紹介したのはママス&パパスのキャス・エリオットだとされている。
 バーズ脱退以降は、クロスビー・スティルズ&ナッシュなどの演奏活動のほか、プロデュース業にも力を入れ、ジョミ・ニッチェル、ジャクソン・ブラウンといった若手のデビューに尽力する。
 サイケデリックやカウンター・カルチャーにどっぷり浸った青春期を過ごしたわけだから、当然ドラッグの常習癖があった。69年に恋人を交通事故で亡くしてから、いっそう深入り。日常生活にも差し障りがあるほどの中毒患者となる。85年、麻薬所持により逮捕、治療中に脱走するが、思い直して自ら出頭し服役。さらに厚生施設で半年ほど過ごし、麻薬禍からの生還を果たす。しかし体はボロボロになっていたようで、94年に肝臓移植手術を受けなければならなかった。
 歴代のバーズのメンバーのなかで、声質のよさはこの人がいちばんだと思う。CSN3枚目のアルバム『Day Light Again』(1982)に収められた唯一のデビッド作品『Delta』は素晴らしくロマンティックなバラード。この時点では重度のヘロイン中毒であったはずだが、それが信じられないほどスイートで伸びのある歌声を聴かせている。
 話はそれるけど、『電波少年』で売れたSomething ELseが、ストリートライブでCSNやオーリアンズなどの曲をレパートリーにしていたのを知り、びっくりするやら感心するやら。ハーモニー重視のグループですから、1960年代後半〜80年以降の西海岸の音を参考にしていてもおかしくないのですが、彼ら、まだ20代前半でしょう。よく勉強しているよね。まあ、プロデビューした人たちにしたら当たり前のことで、「よく勉強している」とは失礼な言いぐさかもしれないが。




クリス・ヒルマン  Chris Hillman

 1942年、ロサンゼルス生まれ。スコッツヴィル・スクワーラル・バーカーズというブルーグラスバンドでマンドリンを担当(バンジョーはバーニー・リアドン)、そしてブルー・ダイアモンド・ボーイズ、ヒルメンを経てバーズに参加。ベースを弾くようになるのはそれからだ。
 バーズはもちろん、フライング・バリット・ブラザーズ、マナサス、サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドと、この人の参加するグループはどれも売れるか、大きな話題になる。かなりの高打率である。大ヒット曲こそないが、カントリーからAORまでこなす芸域の広さはたいしたものだと思う。ただ、言っちゃ悪いが、ソングライターとしては凡庸。もうひと押し足らないんだよねー。キャッチーなメロディラインがつくれて、しかもぼく好みの路線なので、よけいに惜しい気がする。『McGuinn Clark & Hillman』の冒頭に納められた『Long Long Time』は、この人には珍しく(失礼)練りの効いた構成。とくにブリッジから間奏のギターへ移るあたりはよく粘ってのレフト前ヒットという感じで、なかなか気持ちよいです。
 ロジャーとのコンビを解消したあと、しばしのソロ活動を経てデザート・ローズ・バンドを結成。カントリー・チャートを賑わす成功を収めた。




マイケル・クラーク  Micheal Clarke

 1943年、ニューヨーク出身。バーズ参加前はパーカッショニストだったという。オリジナルメンバー5人のなかで、もっともアイドル系のルックスをしていたため人気は高かったが、ドラムのテクニックは二流だった。そのわりには意外と息が長い。バーズ以降のキャリアを見ると、ディラード&クラーク、フライング・バリットなどでドラムをプレイしている。
ビートルズのリンゴ・スターも、決して上手なドラマーではなかったし、レコーディングの際、スタジオ・ミュージシャンにスティックを奪われるという、マイケルと似たような悲哀を味わっているが、リンゴのドラミングは個性があり、誰にも真似ができない。その点、マイケルは演奏自体も平凡で、印象に残りにくい。有名なバンドを渡り歩いているのが不思議だ。
1974年に結成したファイアーフォールで4枚のアルバムに参加(このバンドのことはなにも知りません)したあと80年に脱退。
 93年、肝臓疾患により物故。








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