|
昭和50年代の大阪。
とある町に住む小学6年生の男の子。
将来の夢はプロ野球選手。
そんな漠然とした夢を描いていた小学生。
今ならJリーガーになりたいって子供の方が多いんでしょうか。
でも、BJが小学生の頃って言えば
やっぱりスポーツと言えば野球だったと思います。
5年・6年と野球部に所属し、毎週2回の早朝練習&放課後の練習。
夏休みはお盆以外はほぼ毎日のように朝から夕方まで練習。
夜は夜で、家の前でバットを持ち、素振りに明け暮れるような小学生でした。
そう。阪神タイガースを優勝に導けるのは俺しか居ないと信じてたあの頃。
ある夏の暑い日にノックを受けていると
突然目の前が黄色くなり意識が遠のいて行くのを感じました。
それでも、木陰で少し休憩した後すぐに練習に戻るような感じでした。
レギュラーの座を守るため。ただそれだけ。
少し早すぎた青春だったのかもしれません。
6年の時の市大会では順調に勝ち進んでいきました。
勝ち進むにつれて、応援に来て下さる方の数も増えてきます。
PTAの方々。校長先生・教頭先生を含む教職員の方々。

(右端に立っているのがBJ)
声援も増えてきます。
準々決勝あたりから、ベンチ付きの本格的な球場で試合が行われました。
そしてそのまま快進撃を続け、決勝戦まで勝ち進むことができました。
決勝戦(あの日)。5回終了時点では勝っていました。
この試合に勝って優勝すれば、市の代表校として大阪府大会へ出場です。
しかし、7回ゲームセットの時点(あの時)では
逆転されて大阪府大会出場の夢は儚く消えてしまいました。
結果的には準優勝です。
今考えても胸を張って言えることだと思います。
しかし、ベンチ(あの場所)では誰一人として準優勝を喜ぶ者はいませんでした。
皆一様に帽子を深くかぶり、下を向き、むせび泣いていました。
ベンチ中に、うっうっ・・・と泣き声が響き渡ります。
監督(当時BJの担任先生)が涙ぐんだ目で部員たちに
お前ら、ほんまに一生懸命頑張ったよ。
先生な、
みんな貴重な経験させてもらって、ありがとうって感謝の気持ちでいっぱいや。。
さ!胸張って!
元気出して準優勝旗もらって来い!
そして、しばしの沈黙のあと
皆、涙を拭きグランドへ飛び出していきました。
こうして、決して喜べない2校だけの閉会式が始まりました。
早すぎた青春。
今も鮮明に残る悔しさ。
そこから得た何か。
ありがとう野球。
ありがとう監督。
そこで
監督(担任の先生)に20年越しで言いたいことがひとつあります。
とある理科のテストで
野球部員の成績が
異様なまでに良かった
ことがありましたよね?
何か疑問を感じませんでしたか?
採点中にアンビリバボー!って
叫ばなかったっすか?
実はね、監督。
俺達ね。
早朝練習(あの日)で朝早くに教室でユニフォームに着替えてた時(あの時)に
先生の机を家宅捜索してたら引出しの中(あの場所)に
テストの束を発見してしまったんです。
その束の一枚目には解答が赤字で書き込んであるではないですか。
野球部員全員の大半が100点獲りましたね。
バレなきゃいいやの精神。
文武両道の精神。
監督(N先生)にはいろいろと教わりました。
この場を借りて
部員代表BJが一言
ありがとうございました。
感動のアンビリバボー
|